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インサイド・ストーリー



『エアロスミスとランDMCの出会いが音楽の世界を変えた』
1986年のことだった。ラップ・ミュージックは爆発的な勢いで台頭しながらも、まだ偏見などから音楽界での主流にはなりきれずにいた。台頭のトップにいたのはランDMCで、ニューヨーク市クイーンズ区出身の三人組は、黒い革ジャンと紐無しアディダスのスニーカーがトレードマークだった。

アルバムを2枚発表していたジョセフ・”ラン”・シモンズ、ダリル・”D.M.C.”・マクダニエルズ、そしてジェイソン・”ジャム・マスター・ジェイ”・ミゼルは、既に知る人は知る存在であり、

音楽界の革命児であった。そんな彼らの三枚目のアルバム制作にあたり、当時まだ22歳で白人、ニューヨーク大学の学生であったプロデューサー、

リック・ルービンはとんでもないアイデアを持ち出した。

一時はアリーナ・クラスの大物、しかし当時は既に落ちぶれていたエアロスミスのスティーヴン・タイラーとジョー・ペリーに声を掛け、彼らの70年代のヒット曲『ウォーク・ディス・ウェイ』をリメイクしようというのだった。

ラッパー3名は乗り気ではなかった。
ロッカー達も、低迷するレコード・セールスとドラッグ漬けの日々で、ルービンの考えが全く理解出来ていなかった。
しかしある3月の日曜日、彼らはニューヨークにあるマンハッタン・レコード・スタジオに集まり、
のちに近代ポップミュージック史で最も重要な曲の一つとなるランDMCのカバー『ウォーク・ディス・ウェイ』を創り出したのだった。

1974年12月15日、エアロスミスのリードギタリストであるジョー・ペリーはホノルルでのライヴを直前にして、リフに悩んでいた。そこでジョーイに共に演奏することを頼んだ。するとスティーヴン・タイラー(当初はドラマーだったが、その時は既にバンドのシンガーに転向していた)が二人のジャムを聞きつけ、すぐに飛び込んできた。

ジョー:当時俺ははR&Bバンドのミーターズに惚れ込んでいた。ちょっと難解なファンキーミュージックさ。あとスライ&ザ・ファミリー・ストーンとか。

そして思い浮かんだリフをいろいろいじっていた。ジョーイにはAC/DCみたいな、基本的な二拍子と四拍子を叩いてくれと頼んだんだ。

もし当時俺がドラムマシンを持っていたら、自分でやっていたよ。するとスティーヴンがそれを耳にして、
すぐにやって来てドラムスに座って何かジョーイとは違うことを叩き始めたんだ。たぶんな。

スティーヴン:ジョーはステージでサウンドチェックをしていた。
そしたら急にあの曲を弾き始めたんで、俺もドレッシングルームからすっ飛んで行って混ざった。
頭に浮かんだんだよ。ってな感じだな。俺は今でも心はドラマーなのさ。

ジョーイ:俺の記憶からいくと、俺が思いついたんだ。
いや、誰かなんて覚えてはいない。誰も頭を使ったわけじゃなかったんだ。
ドラムを叩く手から手へ。それがギターサウンドに絡まった…ってことさ。

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https://www.washingtonpost.com/graphics/lifestyle/walk-this-way/